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2015年11月メッセージ 「主にあって喜ぶ/ピリピ1:1-5」

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「キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。」ピリピ1:1-5

このピリピへの手紙は昔から主の喜びに満ちた、喜びの手紙であり、内村鑑三をして歓喜の手紙と言わしめた手紙である。パウロはこの手紙を書いた時は、とても喜べるような状況にはなかった。何故なら、13-14にあるように、パウロはローマで、捕らえられ投獄されていたのである。また、ローマにいるクリスチャンたちは内部分裂しており、互いに自己を主張し、いがみ合っており、パウロは喜べる状況には全くなかった。それなのに、パウロが喜びに満ち溢れていたのは、何故か。第一に、パウロのキリストの僕であるという徹底的な自覚である。この僕と言う言葉は、ギリシャ語ではドウーロス「奴隷」を意味し、奴隷には個人の自由などはなかった。パウロはあえて自分をキリストの僕「奴隷」と強調する事によって、キリストに買い取られた者と言う自覚に生きていたのである。パウロはどんな状況下にあっても、キリストに対する感謝と喜びをもって喜びに満たされてこの手紙を書くことができた。私たちも、キリストは私たちを十字架の死と言う代価を払って買い取ってくださった。それ故にキリストの奴隷としての自覚を持って生きる時、そこにおのずと喜びと感謝が沸きあがってくるのである。第二に、パウロがどんな状況下でも喜べたのは、「あなた方を思うごとに私の神に感謝し、あなた方のために祈るごとに、いつも喜びを持って祈り」と言っています。言い換えるなら、クリスチャンの喜びの秘訣はその人が何をどのように思うか、考えるかにかかっているのである。パウロはピリピの人々を思うごとに神に感謝していた。そしてその人の素晴らしい点に目を向けていく時、いつも喜びをもって祈る事ができた出来た。ピリピのクリスチャンが一人残らずパウロにとって喜び感謝したくなるような人々ばかりだったわけはない。人はみな罪人であり、弱さもあれば欠点もある。又性格の悪いクリスチャンだっていたはずである。しかし、パウロは一人一人を、暖かい愛の心で思った時、そこに感謝が溢れてきたのである。このように私たちもお互いを暖かい思いで思い、祈る者にならせて頂こう。その時、いつしか自分の心に、キリストの愛が満ちてくるのを感じるのである。

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